イオタックのジーンズ

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 若きころのワシはブルージーンしか履かなかった。なぜかというと、それが一番長持ちしそうだったからだ。なんで長持ちするのがいいかというと、収入が乏しかったからだ。

 高校を出ると社会に出て働いた。洋菓子屋でケーキを作ったりクリーニング組合の事務アルバイトをしたりレコードショップの店員をやりながら写真学校の夜間部に通った。
 すべての支出は慎重に吟味した。
 喫茶店にいけばフィルム何枚分のカネがかかるとか、肉屋でトンカツを買えば現像液などがどれだけ分買えるかを計算し、倹約したオカネは写真修行に回した。中野から新宿くらいは、たいてい歩いた。
 デイトなんてとんでもない。女にカネをかけるなんてダメダメダメ。自分の将来を想うと女に費やすカネと時間など論外だった。友人からの紹介で1回だけデイトしたが他愛のない会話で時間を無駄にしている自分が見えてイライラした。勉強中のワシには女は邪魔でしかなかった。女にモテたいなどという願望はゼロだったので服装などはどうでもよかった。写真界で生きられないなら死を選ぶという強い決心があったので他人の目などは気にもしなかった。
 20才すぎまで、ワシは宮本武蔵のような気持ちで生きていた。が、その後は弱くなって狂った。女に目がくらんでしまい面倒を起こした。独善的な無法者だったので人々を傷つけ、多大な迷惑をかけたりした。
 プロになって美人ディザイナーとのデイトも始まったが、ワシの貧しい装いは決して変わらなかった。高価な服を喜ぶような虚飾の女には近づかなかった。軽薄なモデル女よりも地味で賢いオナゴが好きだった。
 そんなときのウエアはジーンズとTシャツ、冬はイッチョーラのジャケットだけ。ヘアカットは五分刈りにし、その後6ヶ月間は伸ばし放題だった。
 ジーンズはリーヴァイスだった。石綿が入っているとかで長持ちし、一本あれば2年間持った。ヒザに穴が開くまで着た。
 仕事もなにもジーンズだった。洗濯は月1回ほど。サルマタだけで乾くのを待った。仕事さがしの面接にも葬式にもジーンズでゆき、そのために採用されなかったりヒンシュクをかったりした。
 若い自分にはカネがないが、志ひとつがあれば服装なんて何でもいいのだという考えもあり、なによりも丈夫で長持ちするということにこだわっていた。
 唯一、肩に高くセットした最高級なニコンFがあり、これがなかったら浮浪者スレスレという服装だったのだと想う。

 日本を脱出するとき乗った飛行機でももちろんジーンズで、それは当時は非常識でありJALの性格の悪そうなステュワードに睨まれたり嫌がらせも受けた。じっさいムカシの社会は服装にうるさかった。服装は人格そのものだという乏しい見識がまかり通っていた。今も眼力のないバカはそうだが・・・
 渡米するとやがて履いていたジーンズが古びたので中古の安売り屋で1ダラで買えるジーンズを見つけてそれを着ていた。とうぜんそれは型遅れですごいラッパだった。それを着てガン誌に登場したので北海道のヤマちゃんから "イチローさん、ダッサーイ!" と言われた。やれやれ貧しい体験のないヤツは無神経で困ると想いながらもヤマちゃんにはメシを食わせたりしたもんだ。
 サンフランスィスコの高級デパートがフォトグラファーを募集していたので面接に行ったことがある。
"ソゥリー・・・ジーンズしか持ってないんで・・・"
と、まずワシは面接官に謝った。すると彼は目をまるくして驚いたように言った。
"アーティストが背広着たりするもんかね! そんなヤツは信用できないよ・・・"
彼は、ワシの写真のクォリティーだけに目を向けるのだと言った。
 アメリカでは、よほどヒドイ服装でもないかぎりは、それで判断されることはない。話すことによって、その人の知性度を推し量るという教育がなされているからだ。SIGやシュアファイヤやウィルコックスの社長と会うのもイオタックで充分だし、暑いときには短パンで行く。客商売でないオフィスワーカーなども普段着で働く。とくにアート関係の仕事をしている者の服装を批判するのはバカだという風潮もある。アーティストのウリは"自由"なのだ。
 こんなような古い言葉がある、
"アーティストの価値はペリカン万年筆やローレックスを持つことではない。彼の創造力そのものである"
・・・ああ、良い国に来たなぁ・・・
 と、今でもつくづく想う。ワシは実力主義の社会で競争して負けるのなら本望なのだ。

 やがて収入が上がってきたので、バナナリパブリックなどだとかを着始めた。ジーンズを脱いだ一番の原因は、そのゴツゴツした着心地が気になりだしたことによる。タイトなために蹴りのスピードが鈍りそうなのも不満だった。57kgだった体重が65kgまでと太ってきたせいもある。
 身体に柔らかくフィットしそうなパンツはいろいろと試した。ワシには一つの銘柄に執着する性癖はない。有名だとかブランドだとかにもいっさいとらわれない。良さそうなモノは次々と履いてみる。
 そして、かなりトシとってからタクティカル ウエアが登場する。まずは5・11だった。続いてウーリッチ、そしてSIGタックからイオタックへと変遷する。
 銃を年中撃つという商売がら、シューター向けにディザインされたタクティカル パンツは願ってもないものだった。

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 とくにパンツはイオタックが良い。それはまるで格闘家が道場で着る練習着のように足腰の動きを妨げないのだ。サバゲやエアガンを真剣にやっている人たちなら、それを着てひょいと動くだけで着心地の良さにOKサインを出すだろう。そしてそれは格好もイイのでダウンタウンでも普通に着られるというのがありがたい。
 アメリカのポリスたちがイオタを着たとたんに歓声をあげるのを幾度もワシは見た。
  "ワーオ、こいつは動きやすいぞ!"
 と、1度しゃがんだだけで感動の大声をあげるのだ。
 プロがプロを対象として作った製品は多いが、イオタはまさにプロによる作品でありプロを満足させられるパンツだと言える。
 そこらのミーハーはともかく、いったん本格的な射撃や戦闘訓練などを受けた者なら、その良さは瞬時に理解できる。イオタ のパンツには、そんな魅力があるわけだ。

 さてさて、このごろのワシは「オペレイター」と「タクティカル」というパンツを時に応じて履いている。日本人が嫌う傾向の「イオ短パン」もよく履く。これはオンナの目を気にしない者にとっては快適そのものだ。色は主にカーキだが、グリンもたまに履く。が、どうもグリンはある種の洗剤による色落ちが激しいのではないかと想う。すぐに赤くなってしまうのだ。テラロッサはそこが気に入ってるというが、どうもワシは気に入らない。シャーツなどのボタンがなくなってしまうこともある。そこでイオタの責任者に聞いてみたところ、より完成度を上げるために大きな工場に移って問題点を解決するところだという返事だった。
 で、そこで、
 ある涼しかった外出の日、ふと想いだしてイオタのジーンズを履いてみた。これはディスクリートのデニムというモデルだ。これをこれまでに履かなかった理由は、辛い過去の想い出も少しあるが、気温が高かったことに加え、カーゴポケットが省略されているからだった。
 しかし、そのちょっと不便なディザインには理由がある。「ディスクリート」というコンセプトだ。
 ディスクリートの意味は「つつましい」という意味。消極的という意味でもある。
 特殊部隊の兵士や警察官が街を歩くとき、太ももの横に大きなカーゴポケットのあるタイプは目立ちすぎる場合がある。
 多くの刑事たちがタクティカル ウエアを着ていることはアメリカの悪人連合にはもはや知られている。ちょっと体格の良い男がそういったものを着ていると怪しまれるのだ。
 そこで、悪人たちの目を刺激しないよう控えめなディザインへの要求が高まり、そのコンセプトにそって作られたのがディスクリート スィリーズというわけだ。
 この日、ワシは病院にいくのでディスクリートしたかった。もうトシだからちょびっとくらいはファッションにこだわってもよかろうと想う。病人のいる所に行くにはモロ戦闘服よりもディスクリったパンツがよさそうではないの。看護婦ちゃんに嫌われるのもイヤだしな。ワシもまるくなったもんだ。
 そこでイオタのデニムを履いたのだ。
 ポリスや訓練生が履いているのを見て、そのスタイルにも惹かれていた。
 うおっ、とウメクくらいに柔らかい。重すぎるとも感じない。日拳の蹴りを連続的に繰り出す。カカトまでめり込むような直蹴りだ。ヒザを上げるのに抵抗はない。SIGのX5を握ってモディファイド プローンの姿勢に入る。その速さは若い女たちを魅了した。イオタジーンズを履いた市彦は空き民家にあったボロニアン ソーセージを10ポンドばかり食いながらニヤリと不敵な笑みを浮かべる。その片手に握られた凶銃ボブチャウ スペシャルが獰猛な勢いで回転していた。ははは
 で、よく見ると、このデニムにはなんとポケットが八つもある。タマや弾倉や手錠などを豊富に収められるのだ。サイドポケットにはM4マグが収まるという設計だ。外見はディスクリでも内側はしたたかにタクティカルではないか。街で着られる晴れ着に等しい戦闘服というワケだ。
 "うむ、これならハイスタンダードとサイレンサーだって隠し持てる・・・" 市彦は再びほくそ笑んでマグナムのシャンペンを半ダース飲み干しながらエビのように背中を反らしてX5自動拳銃をファニングで6連射し素早く輪胴をスイングアウトして弾倉をたたき込んだ。80m先の空き缶はすべて空中に浮き、さらに撃たれて空中で乱舞した。
 そんな市彦がジーンズを着て行くべき病院はもちろん精神科のハズだった、が、実は愛妻の検診だったのだ。老いた市彦に娘が授かるのだという。心の若返った市彦はジーンズを履いて出かけるのであった。それも1ダラの型遅れではなく、最新の晴れがましいイオタのデニムであった。悩み苦しんだ下積みの時代にずっと履いていたジーンズを再び身にまとうと遠い過去の出来事などを甘酸っぱく想い出す。
 この秋から冬への街着はイオタのデニムでショーブする。ただひとつ心配なのは、ジーンズ姿のワシに群がり来るアメリカ女たちをどう追い払うかなのだが、そういうことはジェッタイにあり得ないという最悪な想定を信じて外出する以外にはあるまい。

 日本ではジーンズのカタチや色合いなどでハヤリスタリがあるらしいが、アメリカでのジーンズは古くからの実用的な仕事着でありオシャレ着でもあるから種類は増えても「流行遅れ」のような感覚はない。
 だいたいに、アメリカ人は自分の眼と好みでモノを選ぶ。世の中の他の人が何を着ていようが、自分は自分の好きなモノを着るという気持ちが強いのだ。他人が自分をどう見ようと気にしないという心がある。
 いったん豊かになると虚栄心が薄れるものなのか、あるいはそれが国民性というものなのか、とにかくアメリカでは服装や外観に関しては他人の目を気にしなくてよく、とても暮らしやすいのだ。 


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このページは、Ichiroが2009年10月20日 23:40に書いたブログ記事です。

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