ミエンゲル係数

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 第1話
 監視のスキをついて1羽の名古屋コーチンが快晴の青空を突いて飛翔した。
 彼は養鶏所で飼われていたニワトリだ。
 コーチン種なので黄褐色の地味な服装をしていた。容貌もハンサムという評価をうけてはいなかった。だが、愛知県で改良されていたので体格は良かった。
 大空高くで上昇気流に乗ったコーチンは住み家を物色した。やがて、奥入瀬川の上流に狙いをつけ翼を三角にして降下する。そこにあった岩の上に慌ただしい様子で不器用に降り立つ。
 それを藪からじっと見ている白い鳥がいた。
 彼女はオイラセ川に隠れ住んでいた白色レグホンの美人鶏だった。
 羽色が白く美しいレグホンは鶏界の白鳥としてコケココバレー団に入れる資格さえ持っていた。そんなレグホン娘だったが、コーチンの行動力に惚れて恋をした。
 二人は、正式ではなかったが結婚し、早熟で多産なレグホンは大勢の子供を生み、大家族に恵まれながらコーチンは楽しく生きることができた。
 人生だけが出逢いだ、とは限らない。
 鶏生も出逢いなのだ。なんのこっちゃ?


 第2話
 暗い夜、養豚所のブタがベニヤ板の壁に体当たりし、裂け目から脱走した。
 この逞しいブタは、八田山中のイノシシに薩摩の黒豚をかけ合わせ森長DNA研究所による配合方式で育ったピダヤー種だった。
 成長して養豚所の壁を壊せたのも、その並外れた体力と行動性によるものだった。ピダヤー種が「牙の無いイノシシ」と呼ばれるのもそういった背景のせいなのだ。
 ピダヤー種は、元来おとなしい性質でありながら、感性に欠けるためにメスとの縁を作れないという不器用な性格をもっている。
 だが、脱走したこのピダヤーは特別な例といえた。
 焼津の養豚所を脱出し、夜のアスファルトをカカカカツカツカと速い四重テンポのタップを踏みながらピダヤーは爆走した。
 本能の導きか、ピダヤーは富士山麓にある樹海に逃げ込んだ。そしてやがて、たまたま山から下りてきた顔立ちの整ったイノシシの娘と出逢う。空腹だったその娘はピダヤーにハイチュウ大袋やマリー、パックンチョといった食を与えてもらい満足して昼寝をしたところをピダヤーにのしかかられて恋が芽生え、二人は熱い抱擁からとろけるような愛を謳歌し同棲する。
 新天地で生きるチカラと家族を得たピダヤーは、やがてトン界とイノ界との団結のために終生を捧げることとなる。トン生もまた出逢いによって始まるドラマであった。
 真実をオゴソカに告白するならば、これらは、まったくのフィクションだよ。あはは、あたりまえか。
 なんでそんなこと書くの?
 ただなんとなくね、こんなことがあったらほほ笑ましいかと想ってさ。なぜか名古屋コーチンって好きなんだよ。ピダヤー種は架空のトンちゃんだから調べても無駄だよ。いわば「ウソップ物語」だね。
 で、こんなことって実際に起こるかな?
 捨てられたペットが野生化することはよくあるけど、養鶏所の鳥が飛び立ち、他の場所で独立するということは奇跡だろうね。
 奇跡とは、常識の範囲では起こりえない事だろうから、常識外では起こるのだろうね。
 ワシはよく想うんよ。我々は養鶏所の鳥とどれくらい違うのかって、ね。
 大違いさ! と初めは想うけど、思索にふけるほどに、大違いは少し違いへと近づいてしまう。行きたくない会社などに通ったり、意味のない仕事をいつまでもやらされ、それを苦痛と感じられる人は、ブロイラーよりも不幸なのかもしれない。それほどよくは観察しなかったが、自分の将来を憂いわずらってショゲたり涙を流しているニワトリなんていなかったような気がするんだよ。
 少なくとも、人間の知能の高さだけでは自慢にならないような気がするんよね。

 ところでだ、
 ニワトリが養鶏所から逃げ出すのと、人間が現状を変えるのとでは、どちらが可能性が高いのか? と考えると、それは人間の方だろうね。人間は自分で生きる方向性を決めることができるのだからね。本気になれば、自分の人生は自分でドライヴできるものね。
 そこんとこはブロイラーと違った幸運が我々にはあるね。もっとも、その幸運をジャンプ台として使える人間は限られた数しかいないようだけどね。これは、なぜだろね?
 人間の個人というのは浜辺の一粒みたいに大多数の中の小さな存在にすぎず、我々にどういった価値があるのかと考えると、それは大したものではなさそうに想える。
 だが、君が浜の砂粒とまったく同じかというと、そういうものでもない。なぜなら、君には意志があり行動するチカラがあるからだ。意志があるから考えることができ、希望を持ち、行動力があるから明るいところに歩いて行こうとするわけだね。
 「知能に支えられた行動力」これがあれば人間は幸せに向かうための旅立ちができそうに想えるナ。
 そこで、今回は『ミエンゲル係数』という言葉を紹介しよう。
 【ミエンゲル係数】ミエンゲル-けいすう
 人間の幸福度の一端をしめす係数。
自分の収入に占める《見栄張り用のための出費》の割合のこと。一般に、この係数が高いほど、その人の価値観が低く、心の不幸は大きくなるという現象が観られる。
用例1: [あの人はミエンゲル係数が高いのでストレスが強い]
用例2: [メンゲル係数の低い人はリラックスしているので親しめる]
上記の用例にて理解できるであろうが
【ミエンゲル】の{ミエ}は《見栄を張るの「ミエ」から採られたもので [ンゲル]はエンゲルからの影響を受けた造語である》
類語である【エンゲル‐けいすう】に関しては他辞書にても検索可能
        永田辞林苑より

  なっはっはっ、
 ちゅうわけで、ミエンゲル係数という言葉は、たった今ここで発表するんよ。これは、長い歳月をかけてイッショケンメに考えたすえにようやく発表にこぎつけたものなんだ。こんな簡単なことに長くかかるのはワシのドタマが弱いショーコなんだが、まあ常に思考はしとるちゅうことでゆるせ・・・。

 初回は「幸せをターゲットにしよう」と書き、前回は「幸せの三原則は、健康と愛とオカネだ」と書いた。
 で、健康は最も大切なものだが、これはたいていの人々が自然にクリヤーしている。 
 でも、愛やカネだとなるとそうはいかん。 
 現実の世の中では、健康な男たちがカネと女を求めて精子時代さながらの熾烈な競争をしているというのが実情だ。
 男と女の関係は創造の主が巧みに仕組んでくれたので、どうにかなる。出逢いがあり、ケンカがあり、別れがあり、また出逢いがあり、危機もある。欲をかかなければ縁はかならず訪れる。あまり心配せんでよか。
 だが、人間がオカネという制度を作るというのは神の感知する分野ではなかったせいか、あるいは自然淘汰のための周到な手段なのか、オカネを巡っての争いや戦争は決してなくならない。
 ところで、我々人類の生き様を簡単に説明するなれば、ほんの少しの文字ですむ。

 【金銭分捕り合戦】

 つまるところ、これだ。
 この人間のアサマシイ正体をあらわにさせ、誇りを傷つけるような腹立たしい競争!!
 オカネこそ諸悪の根源かもしれない。
 我々は「オカネ スパイラル」の巨大な渦の中にあって、なんとか精神を保ちながら生きてゆく必要がある。
 オカネは、ほぼ万能だ
 ほぼなんでも買える
 幸福の大半を買える
 ときとして命も買える
 特価品でよければ愛も買えるし
 たまにはタナざらしの愛や
 運がよければ正札付きの愛だって買える
 そういった便利で危険な印刷物だ。
 しかし「ほぼ」が付くかぎり完全万能ではない。このほぼの部分を追求し、オカネに負かされない自分を作りたいものだ。
 「オカネを稼ぐという元気とファイト」
 これがまず大切だろう。そしてオモロイことに、この「元気」もオカネでは買えない。

 全霊をもって愛する心、情、徳、慈しむ心、感動する心、命を捧げるという心、頑張ろうという気持ち、晴れ晴れしい達成感、思考力、判断力、行動するチカラ、そして最も大切な洞察力。これら幸せの元素にはオカネの魔力も通じない。
 オカネがいくらあっても、これらが欠落していたら木石に等しい。そしてこれらは神からの贈り物として我々の心のどこかに内包されている。
 「人の幸せの鍵となる価値観」
 これもカネなどでは買えない。

 今回は、なんのハナシをしたいかというと「価値観」についてだね。
 価値観というのは、その人の出来具合を決める大切な知的感性だもんな。

 ナニが大切で
 ナニは大切でなく
 ナニは有害だ
 と決められる心のチカラ、これが価値観というものだろうナ。
 自分にとって大切なことは何か?
 優先順位をつけるなら何が一番か?
 と、そういった価値を決めること。
 "市郞の文章は宅の息子にとって有害ざあますわ、なんと言っても価値あるのは有名大学と有名企業への就職ざあますもの・・・"
 こういうのが価値観というわけ。
 価値観に正誤はないと想う。良し悪しというのも一概には決められない。ただ「違い」があるだけなんだと想う。
 子供にとってオモチャに価値があり、学生にとって学校の成績が大切、卒業したら仕事が重要だというふうに、価値観は同じ人でも時によって変わってゆく。しかし、その人と環境により、そこで相応しい価値観というのはありそうに想う。
 価値観は、その人の目標決定に大きな影響を与える。自分の進路というのは価値観の産物だと考えてよい。君の価値観にそった実行力が君にあれば、君の船は望んだ世界へと向かう。あとは努力と少しの運次第だ。
 ワシは高校の時にフォトグラファーになる夢を持った。挑戦する自由はあったが失敗したらオチこぼれになると言われた。
 "失敗したら店員とか運転手やればいいんだろ? サラリーマンだけが価値ある仕事じゃないだろ? ダメなら死ねばいいんだろ?"
 そう自分に言い聞かせて写真学校で学ぶことを決めた。自信などまったくなかった。ただ、死ぬまで頑張ろうと決めただけだ。
 記憶力が高いとか計算が出来る人は学校では優良だが、実社会では覚悟と根性のほうが武器となる場合が多い。残念なのは、学校の成績表に「根性」や「感性」の欄がないことだ。だいたい、それを判断できるだけの先生もおらんしね。
 教え子の何人が有名大学に進学したかというのが教師の価値らしいが、そういうのが本当の「教師」なんだろうか? 調教師と呼んだほうがええんでねえの?
 しかし、そういう価値観もありだよ。なにしろ背広着て会社に通うのは、世の主流なんだしね。その方が辛さも少ないと想う。喜びのスケイルも小さいかもしれないけどね。
 さてさて、
 たとえば、ぶてぶてと太った男がタバコをスパスパ、酒をがぶがぶと吞みながら淫らなハナシばかりしていたら嫌っちゃうよね。これは君と彼の価値観が合わないからだ。不健康なセックス マニアにはなりたくないから嫌悪感をもってしまうわけだ。でも、あるタイプの若者は、そんなオジさんが気安くつきあえて楽しいと感じる。それは、オジさんと同類なので価値観を共有できるからだ。
 ようするに気が合うだとかソリが合わないなどというのは、互いの価値観が違うということだね。でも価値観は別として、好きになれる人となれない人というのもあるナ。
 たとえば、エアガンの好きな人同志だと、いちおう価値観が合うのでハナシなんかしてみたくなるわけだけど、どうしても好きにはなれない場合もある。好き嫌いにはその人の性格的な嗜好が入るので価値観と好き嫌いを一緒くたにはできないのだ。男女間の好き嫌いはとくに不可解だしね。しかし個人的なコジレの原因のほとんどは価値観の相違だろう。
とくに価値観の異なった者同士は、異教徒のように憎み合う場合が多い。ナマのエゴがブッツカリ合うからだね。成長とはエゴの軽減ともいえるのだよ。ところで宗教やってるとエゴがなくなるハズなんだが、かえって増長する信者が多いのはフシギだね。
 ともあれ、エゴを抑制して価値観を変えると世の中がガラリと変わって観えるようになるものだよ。

 さてさて、
 君は他人の視線を気にしてはいないか?
 ワシもすごく気にしているんだから、君も元気にイエースと答えなさい!
 よしよし、まずは自分の弱点をマナ板に乗せないことにはシリツは出来ないからな。
 えっ? シリツって何かだって?
 決まってるじゃん、手術を免許なしに行うことよ。私立的手術の俗語だよ。
 なんのシリツをするかというと、過剰的見栄心の矯正シリツだね。
 動物だって、知らない相手に出逢うと毛を逆立てたりして大きく見せるんだから、ミエを張ることそのものは悪いことではない。他人に認められたいという気持ちが頑張りの源になるのだから、大いによろしいよ。
 ただ、
 "よぉ~し、カッコいくなるぞぉ~!!
母ちゃんアルマーニ買ってくれろ、クルマはビーエムの上のクラスでローレックスは雑誌に載ってた高いヤツな・・・これで決まったぁ!!"
 といったミエ張りはどうだろう?
 それはたしかに女たちは集まってきてチーヤホーヤとなついてくるよ。そしてすぐに、
 "ねぇ~アタシ、欲しい物あるのよんよん♪ルイブトンとジャネル、愚っ痴もいいなぁ~、そうそうチファニーもね~"
 そこで君は買ってやる。親のカネだから惜しくも貴重でもない。しかしだんだんと腹立たしくなる。女の目的が君との愛ではなくてカネ
にあるからだ。そんなところに、ガーンとすっごい女が現れる。正面から見られるとオタオタなってしまうような目もとの美しい知的な美人だ。聞くところによると英語はペラペラでスケートでは県大会に出ているという。どこかの弁論大会で入賞もしたそうだ。こんな女を家に呼べたら母ちゃんが喜ぶのだ。
 君は自信をもって堂々と自己紹介し、自分のカノジョになればビーエムのオープンカーくらいプレゼントできるんだとほのめかす。これで釣れない女なんてゼッタイにいない、ハズだった。だが、彼女は言った。
 "私、父が半分補助してくれた軽自動車をもっているのよ、もう四年は乗ってるわ。とても良いクルマよ。自分で稼ぎもないのに高価なクルマに乗るのって恥ずかしくてできないわ、でも気持ちはありがとうね・・・そうそう今夜はヴィオラをやってる弟が県民会館でカルテットやるけど鑑賞にいかない? バルトークの難曲にチャレンジなんですって、その後は20キロほどジョギングしながら、あなたの感想など聞かせていただきたいわ・・・えっ? ドッポンギで踊ろうですって? ごめんなさい、私は騒がしい場所は嫌いなの、空気の悪い所もね・・・"
 君はしばし沈黙する。君がヴィオラもバルトークも知らなければ、20キロ走れる体力さえもないことを彼女に見抜かれ悔しくなる。カッとなってビーエムに蹴りをいれる。
 君の親は外見が良ければ良い男なんだと考えているが、彼女は精神のあり方を重要視しながら教育されたので高価なモノを持っている人を尊敬するという感覚がゼロなのだ。

 クラスィック音楽を聴くことと教養とはあまり関係ないと想う。ただクラスィックはロックのように簡単には受け容れることができず「勉強」をする必要がある。
 勉強とは「強いて勉める」ことだ。勉強を出来る人間は強くなれるもの。
 物欲はひかえ、努力する気持ちを養い、真理を求める心。ようするに、核心を見抜くチカラ、これが「教養」というもんじゃないかと想うんだよね。

 価値観の違いは、人格に大差を与える。
 えっ? 自分はビーエムなんかどうせ買えない身分だって? それはよかったゾ。なにしろ、ビーエムにはカネがかかるが、優れた価値観を構築するのには大金などゼンゼン必要とはしないのだから。
 下卑た人間は、どこまでもゲビることができ、知性を磨く人間はどこまでも心の輝く人間になれるものだ。ここが人間の素晴らしいところなんだね。
 そこで、だ。
 目立つ喜びというのは確かにある。しかしそれで有頂天になるようでは青二才、つまり未熟な若造であり愚か者だといえる。
 その目立ち方も、自分の技術などで感心されて喜ぶのならまだ許せるが、自分の持ち物や服装の値段などをひけらかすようでは下劣の分野に入るので反省しないといかんね。これはハッキシいって恥ずべきことなんだ。
 とはいえ、若いうちはその「愚かな時代」を体験しないではいられないものではある。要は、いかにして今の段階を卒業し次のステップに進むかということだろうね。
 だから、君が「持ち物自慢屋さん」なのはツミではない。ただいつまでも悟れないでいると「愚行スパイラル」から抜けられないことになる。そういう大人になるとマトモな人からは相手にされなくなってしまうのだよ。まあ、そういう人でいたいならゼンゼン問題ない。自分で選んだ道だもの、死ぬまでモノ自慢してればいいのさ。大多数の人間がそうなんだから、心配せんでもいいさ。
 自分は、ミエンゲル係数が高すぎないか?
 無理な出費で意味のない買い物をしてはいないか? 分相応という言葉を忘れ物欲に溺れていないか?
 良い価値観を得るためには、ここんとこを自己診断し、カネと労力を自分の成長のために無駄なく使うという思考をしても天罰はあたらないのでは、と想うわけだよ。

 突っ張りやミエ張りは自然本能のような気がする。そしてキュークツで息がつまるものでもある。
 ミエの心は誰にもあり、世の中には豚フルエンザよりもミエの方が蔓延している。
 ミエとは、なんなのだろう?
 『見栄』というのは、外見を飾り、見た目の姿を意識して、実際以上によく見せようとする態度。虚栄心のことをさす。虚栄心とは、自分をじっさいよりも良くみせようとする心のこと・・・と、辞書にはある。
 こうして観ると、ミエは我々のためになることではなさそうだ。乏しい自分を豊かに見せたり、バカなのに利口そうにふるまったりするなんてウソのかたまりではないか。
 しかし、我々はミエから逃れることができない。ミエ社会にどっぷりと浸って窒息しそうになりながら毎日を過ごしている。虚栄心が極度に進んでミエ中毒にかかった人は、自分が窮屈だという自覚症状さえも失って物欲とギマンのトリコとなっている。
「虚栄心」という言葉にも恐ろしいヒビキがある。「うつろに栄える心」という意味だ。ぞぞぞっとなるほど怖い言葉ではないか。見かけだけは立派そうでも、話せば知性のカケラもなく、何をやらせても上手くできず、そのクセしてウソは上手い。当然ながら、こつこつと努力するのを嫌うタイプ。
 こういったタイプには誰もなりたがらないと想うのだが、現実には多い。努力嫌いは愚行のスパイラルに陥る元だゾ。
 ケータイ電話に付きまとって離れられない若者たちもミエ中毒の一種だとワシは想う。
 人間は「群れる動物」なので、たえずして周囲の人間たちの動向を意識し連絡をとりあい、群の中に居るようにするという本能からは逃げられないものではある、が、一方、どこかで自分なりの道を発見しないと幼稚なままで加齢を続けることになる。
 人間世界にありながらも無意味な風潮に流されることなく、愚かな世間にドライヴされてしまうのでもなく、自分の方向感覚と価値観をもって生きるならば充実感のある人生を得られると想うわけだよ。

 若いうちは、社会人の駆け出しだから収入が少ないもの。それだけに、そのオカネは貴重だから使い道には用心しよう。
 若いときにミエ金と遊び金を使うほどに自分の未来が貧弱になると想う。
 今を楽しく過ごせば後ではツライ生活が待っているというわけだ。
 どっちでもいいんだが、ワシはトシとってから楽しくやる方を選んだ。若くて元気なうちに苦労に耐えて心を鍛えたほうがマシなトシヨリになれるという気がしていた。
 ともあれ、
「動物は自分の身体に合わせて巣穴を掘る」
 ようするに、自分の収入に見合った買い物でないとミエンゲル様の怒りに触れて罰を受けるので気をつけよう。

 ワシは自分なりに幸せになれたと想っているわけだけど、そうなれたのは偶然もラッキーもあるが、それよりも「地道」にやってきたことが自然に高く積まれた結果もあった、これが要因なのだと想っている。
 昔のワシのことを聞いてくれ。これからの日本は貧しい時代に入るので、これはそれほど非現実的でギャップのあるストーリーではないと想う。

 若くて元気だけがとりえで人間として内容もなく労働以外の仕事は出来ないのでイッショケンメ勉強しないといかんと考えていた。
 写真の勉強には何かとカネがかかるわけよ。ワシの場合はキャメラ、フィルム、印画紙、現像薬品などなどが沢山必要だった。
 女には興味などなかった、とは言うが、実はそうではなかった。オナゴは欲しかった。ただ、武蔵を習って興味はないということに決めて実行しただけだった。
 これから写真学校が始まるという頃に18才の娘を紹介された。最初のデイトは新宿御苑の終日散策だった。この時に、彼女はワシを好きだと告白してくれた。その後、何回会ったのかは覚えてはいない。なのに間もなく別れ話をすることになった。
 オンナにモテたくて服だの靴だのヘヤカットだのクリスマスプレゼントだのとやってたヒには破産するしかなかったわけだ。それにデイトとなると、勉強の時間がなくなるので、それも大弱りだった。もちろんコーフィー代を払うのも苦痛だった。でも武蔵以外に永田家の教えで「苦労は買うてでもしろ」というのがあって、その言葉を頼りにオンナを諦めた。「我が道に女無し」と宮本党員のマインドセットが効いたワシは別れを迫った。

 "君を好きだけど、昼はバイトで夜は写真学校の夜間部で勉強をしなければならないんで付き合う時間もお金もないんだ・・・" 

 "私、ぜったいにジャマなんかしないわよ、たまに近くにいられるだけでいいのよ・・・"

 "でも、そうなると君に溺れることになる。ダメなんだよ、逢うことはできないんだ・・・"
 そう言ってハンカチで涙目を覆っている彼女を残して新井薬師の喫茶店を出た。
 あのときの短い会話と彼女の悲しい表情は鮮明で忘れることが出来ない。
 メグミという名前だった。メグちゃんと呼んでいた。小柄でふくよかな体型をしていた。うるんだ瞳でワシを見上げていた。彼女の唇はいつも美味しそうだった。しかし一緒に寝たことはなかった。喫茶店でのデイトはほとんどなく、公園や街を歩くだけだった。なにしろ高校を出たときから独立し、いっさいの援助を断っていたので100円という金額が黄金のような輝きをもっていたのだ。「自分の成長のため以外のカネは使わない」というスローガンも作っていた。とはいえ、彼女のためにいっさいカネを使おうとしない自分が呪わしくミジメだった。これがトラウマとなって残ることにもなった。
 でもあのとき、少しのカネがあって彼女と楽しくイチャついていたらワシは写真競争から脱落していただろう。ワシにすごい才能があるわけではなかった。孤独になってひたすらに学ばないかぎり生き残れる世界ではないことはよく判っていた。そしてそれは写真に生きるか、女に溺れるかという重要かつ危険な分岐点だった。高校時代に宮本武蔵を読んでいなかったら誤った選択をしていたかもしれない。どのようなカタチであれ、強い意志を持っていれば役に立つ。
 彼女も60才を越している、今はどこでどうして生きているのだろうか・・・。できることなら彼女に逢って美味しいものを食べさせてあげたいものだ。
 なるべく値段の張る料理をね・・・。
 そのとき19才「アメリカに行くぞー!!!」と日記に勢いよく書き殴ったころだった。

 想うにだ、
 自分が何も出来ないうちにオナゴを作ると、そっちに貴重な成長の時間とカネを浪費してしまい、生きてゆくためのチカラを培うことが遅れる場合が多いので気をつけんといかんのではないだろうか。
 オナゴに好かれる必要がないなら、住居も服も食い物も質素でよく、学ぶ時間がウントコサ出来る。地道にゆっくりと勉強できるというわけだ。
 よく考え、よく学んだ者には競争力も備わり、それなりの仕事にもありつける。こういったタイプの男はオナゴにも好まれる。
 カネと愛が欲しかったら、若いうちに思考し、働き、苦労し、学んで成長するということに尽きるという気がするのだ。
 ところで、君、戦争か災害かで周囲が死んで誰もいなくなったら服装はどうする?
 たった独りになってもアルマーニとかのブランドものを選んで着るかい? バッグもブランドでいくかい? 時計はカシオよりもローレックスの方がいいかい? そこに四駆があるのにフェラーリを探して乗るかい? ヘヤの手入れもキチッとやるかい?
 そういった「見栄モノ」にはいっさい興味がなくなるんではないかい? それはなぜかちゅうと、君を眺めてくれる相手がいないからだろね。とくにオナゴがいない世界では見栄張る必要はないばかりか、馬鹿馬鹿しいと想うだろね。
 で、君はブランド品に夢中になっている街のオナゴを好きかい? 好きと想うヤツは去ってキライという者だけ残れ。うおっ、皆が残ったぞ! いったいそれはなぜだ?
 内心では誰でもが虚栄を嫌っているからじゃないのかな?

 ワシが日本のオナゴに会うときのチェックポイントを言おうか。
 ヘヤが茶色、はいダメ。
 化粧コッテリ、はいダメ。
 ブランドのバッグ、はいダメ。
 華美なアクセサリー、はいダメ。
 タバコ吸い、ダメダメダメのダメ。
 芸能人の話題、サイナラ。
 他人の悪口、サヨナラ。
 これはハイミエンゲルの女たち。収入の大半を身辺の飾りに使い、脳みそは中学以来なんら発達や成長がない。茶髪が伸びてその根本が黒いのを見るとゾォ~とする。それを染め直しているところを想像するとことさらに寒気がする。
 茶髪はヘアが軽く見えるというが、頭そのものが軽いという真実も観えてしまう。
 だいたい黒髪というのは美しいのだ。
 素敵であり魅力的だと想う。白人の金髪とならべても決して見劣りなどしないと想うのだ。黒い瞳、黒い髪がワシは大好きなのだ。
 黒髪に白髪がチラホラとまざってきたらそれを黒くすることは理解できる、が、美しい黒髪を薬品をつかってヒッシに茶色に染め続けるというのには哀しい想いがする。自分の身体でそんなにコンプレックスを感じることはないのではないか。外観で化けてまで他人の目をアザムクなんて哀しいではないか。自分の心がしっかりしていれば、外見をとやかく言うヤカラと付き合う必要もあるまい。
 こういった貧しい価値観の女性からは学べるものがないと想ってしまうのだ。

 黒髪、おっ!
素顔または薄化粧、おおっ!
 質素なバッグや靴、おおお~!
装身具、イヤリングもネックレイスもなし。 
 おおおお~!!
 "私にはヴェートーヴェンは強すぎるのでモーツワルトかバッハが・・・陶器でしたら織部より萩のほうが・・・"
 仕事はテキパキとでき、自分の趣味もある。
 うぉっほっほっほ~!!!
 こちらは「少エンゲル」のオナゴたち。ハタ目を気にせず、自分の精神世界を築こうとしている上質な女性だ。

 んだ、オラの好みは偏ってるだべ。それに狭いだっぺ。じゃからナミのオンナとワシはうまくいかんのよ。パーティー女みたいなのと付き合うより独りでいたいわい。

 かと言って、茶髪のオンナがワルモノだと決めてはイケナイのだゾ。
 もともとたいていのオナゴには実利的な心が備わっている。母親になるために虚栄心をアッサリと捨てられるという才能をもっているのだ。つまり君が地味を希望すれば彼女は喜んで変身してくれるものでもある。勉強嫌いの不良女が男に愛されることで一転して良い奥さんになるのは珍しくない。価値観も急速に変わったりする。ただモーレツな教育ママとして爆走することもあるけどね。
 ワシのチェックは、独善的といえるワシの狭量なる好みに従っているだけ、参考などにはしないでほしい。
 地味な人が好きなのは、それがワシの基本だというだけのことなのさ。
 人の世はなんでもアリなんだよ。引きこもりも万引きもヤクザも強盗も殺しも、なんでもアリだからあるのさ。それらは善悪という言葉よりも前からあったのだ。それぞれに理由があって、あるわけだね。
 たとえばヤクザだって、話してみると感じの良い人もいる。ヤクザであることに自分で納得してやっており、辛さや劣等感にも耐えているいるということで同じ人間として同情できると想ったことがあるよ。
 とうぜんながら、盗みや殺しを憎むというのも大有りだね。
 また、人助けが人を不幸な目に遭わせたりすることもあれば、人殺しが他の人を助けることになったりもするよね。
 戦争となれば、立派な若者や子供のいるお父ちゃんといった兵士を殺しまくることになり、これで自国では英雄として扱ってもらえる。とてもじゃないが人間の世界を善悪観念だけで観ていたら、やってらんないよ。

 人には、紆余曲折というものがある。
 ウヨキョクセツだね。
 まるで神様が自分を嫌っているように物事は順調には運ばず、わずかな山がありながら谷だらけで道は険しく曲がりくねっている。その曲がりにさしかかっている人を見て判断などしてはいかんのよ。岩場をくぐるために身体を折っているのを見て変だと想っちゃいかんのよ。大風を避けるために縮こまっている人を非難してもダメなんよ。
 どんな人にもそれぞれに生き方があり、それなりの死に方がある。その人の人生が良かったかどうかは死に様を見届けないと判らないものだ。それでも判らないかもしれない。
 「終わり良ければ、すべて良し」と、こういった長い見方をするのがイイと想う。

 読んで解る人
 読んでも解らない人
 後で理解できる人
 死ぬまで解らない人
 読まないでも解る人
 人は様々だ。
 今の君は、この内のどれだ?
 将来は、どのタイプになりたい?
君は、それを選ぶことが出来るんだよ。
 それが君の価値観というものさ。
 自分という原石を磨いてみて、光り始めるのを自覚できたら、そんな素晴らしいことなんて他にはあんまりないよ。
 自分を磨きたかったら、価値観の高い人を見つけて交際しようナ。

 終わりに「こんな人の言うこと信用すんな」
の一例を挙げよう。

 血液型で人を判断できる、という人間。
 これはデタラメでありインチキであり、ウソであり知能の低い人間である証拠だ。
 こんなことを言う人がいたら、決して心を許してはいけない。できたら離れたほうがよい。こんなヤツからは、何も学ぶことなどないのだと考えてよい。もちろん、星座占いも同じだ。トラ年生まれはナンタラだというヤカラも同罪だ。バイオリズムをカンタラなどと言う大人も害人だ。

 あ~・・・ワシ、これでまた敵を増やしたナ。
 血液型を信じてるバカは多いからな。彼らはワシの文を読んで自分の無知を反省するかわりに怒り出すものな。

 人を決定づける要素はふたつある。
 それらは「性格」と「人格」だ。
 性格とはDNA、もって生まれた性質だ。
 人格とは、自分が生きながら周囲からの影響を受けたり学んだりして作られた性質だ。
 人の心は、このふたつの融合によってできあがってゆく。DNAの並び方と血液型とはなんらの関係もない。ましてや、最も大切な人格の形成には血液型など入り込む余地もないのだ。ただ、自分を自分で磨いた人は光り、そうでない人は光らない、そうして出来たのが性質というわけだ。それだけのことだ。
 ワシがこのように考えるヒントをくれたのは血液の専門学者、あのテッポ好きのドクター朝倉とワシの兄(医者)だった。

 ついでにこれも書こう、時効だから。
 "イチローさんの血液型はなんですか?"
と、ある会長から聞かれた。
 "はい、水瓶座のABです・・・"
 とワシは答えた。その会長が血液型による性格判断に凝って人を選別しているという情報は先に得ていた。
 "おおっ!ABですかぁ! 芸術家ですねぇー!
それに水瓶座とあればカンペキです。さすが世界のイチローですねぇ!"
 と、彼は分厚い血液型の文書を広げながら大いに感心してくれた。
 そしてワシの血液型性格判断が雑誌に載った。すると兄が記事を読んで言った。
 "おまえはABじゃないのに何であんなこと書かせるんだ?"
 "ああ、チマタの本によるとABと水瓶座はかっこ良さそうだから、それにしたんよ..."
 兄と大笑いになったよ。その夜の酒と刺身の美味かったこと! なぜかというと、その会長さんからは2年間の契約金として2,000万円もいただいたのだから!
 ところで、誰か教えてくれないかナ、こんな大嘘つきの血液型って何なのだ?  
 USOdeRなんてのはあるかな?
(ウソであーる)
 わぁっはっはっはっは~!!!
 ではまた! 市

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コメント(9)

はじめまして。

takimoto と言います。

今日、先日注文してあった「市印」のクナイが届きました。

おもしろいですね、これ。
回転部、一般的な工業品ならもっと隙間が大きくて、遊びが大きいですよね。
クナイは、きっちり、かっちり、でもスムーズに動いて・・・

もう、30年くらい前になるのでしょうか。「本物の物づくりって、こうなんだよ!」ってイチローさんが紹介していたボブ・チャウ カスタムのことが、ふと、頭に浮かびました。

ボブ・チャウ カスタムのことは、もちろんイチローさんの写真でしか知らないので、このクナイがそのレベルかどうか・・・なんて判断できませんが、なぜか頭に浮かんだんです。

トヨタ車のリコールのニュースが流れています。
本来なら、ボブ・チャウ カスタムを見て、その作りにうなずけるような技術者や職人、管理者がもっともっと多く育っていたはずの日本企業が、少しずつ、確実に、劣化しはじめているように思います。

現場から遠く離れたオフィスの中だけでビジネスをするような経営者達が人を腐らせていきます。
「ソリューション」という言葉を、中間マージンを貪ることの隠れ蓑に使う企業が、ユーザーの目に目隠しをしようとします。

本を読んだり、実際の経験で、何かを感じ取ろうとしてきていない若者も、現場に身を置いたとき、自分を支えるものが少なすぎて、安易な方向に流されていく人も少なくありません。

白状すると、仕事の忙しさに負けて、イチローさんのレポートを読んだのは本当に久しぶりだったのです。
で、ずいぶん遅れてクナイを注文したという経緯なのですが、当時、何度も何度もイチローさんのレポートを読み返していたことが、今になって「文章を読むことにあまり抵抗がない」原因のひとつだと気づきました。

不整脈持ちのメタボに成り下がった今の自分に愕然としながら、あの当時、数々のレポートを読みながら何かを感じていたことが一つの財産になっていることに気づきました。

これからも、レポートの読者に本物の人間達を、もっともっと見せてくださいね。

小奇麗な言葉に騙されず、自分の目で判断できるように。
誰かの借り物ではなくて、自分なりの価値観を作っていけるように。

あー、今度実家に帰ったら、あの雑誌読み返してみよう。

失礼しました。

私も見栄っ張りだという自覚があるので耳が痛いですね。好きな車にも乗りたいし、デカい家にも住みたい。たまにはごちそうも食べたいし。

ただ、自分の原点が「貧乏」だったことは、今になるとありがたいと感じています。冷蔵庫にキャベツが半玉しかないような状況でも私に勉強させてくれた両親。高校も大学も、奨学金やら授業料免除やらの助けを借りて、何とか卒業しました。

大学時代はバブルの影響からか、学生でもワンルームマンションは当たり前の時代でした。クルマを持っていた同級生もいたりして。そんな中で、大家さんちの2階に間借りするような格好で、四畳半一間でトイレは共同、風呂は無し、キッチンは部屋の前の廊下・・・という物件に住んでいた私は、オシャレとは無縁。女性とも無縁でしたね。

何しろ、落第なんてしようものなら先述の奨学金や授業料はパーなんですから、もう必死でした。特別な才能もなく、継ぐべき家業も財産もなく、コネなんて当然ない私。多くのものを持っている人たちと対等に戦うには勉強するほかにはなかったわけです。

貧乏ながら、大学時代は親の仕送りに甘えました。食べるのにギリギリのお金があればいい、と。贅沢のためのバイトはしない、と決めていました。いずれ働きだせば、何より時間が貴重になる。今のうちに読めるだけ本を読もう、と古書店通いに明け暮れていました。もう、何をどれだけ読んだか忘れてしまいましたが(笑)、あれはあれで良かったように思います。

贅沢なマンションに住んだとしても、所詮は大学生活4年間だけのこと。ずっと持ち歩けるものでもないわけです。それよりも、自分にずっと付いてきてくれるものを持ちたいと願っていたように思います。今考えると、それが自分なりの価値観であったり、学ぶ心であったのかな、と。まあ、青二才なりに、ですけどね。

今はいいトシになって、「クルマはイタリア車がいいねぇ」とか、「ベルサーチのスーツが一着くらいあってもいいかなぁ」とか言ってみたりする私ですが(言うのはタダですから)、イザとなればあの四畳半生活やその前の貧乏生活に戻ってもやっていく自信があるわけです。戻りたくはないですけど、経験が自分を強くしてくれているという点では、「貧乏」に感謝しています。

半面、お金に対する恨みや執着も人一倍あることも自覚しています。
おそらく、人生の悩みの98パーセントくらいはお金があれば解決できることです。でも、本当に悩ましいのはお金では解決できない、残りの2パーセントだったりするのですが。
だから、若者にはこう言いたいですね。

「お金を稼ぐのは悪いことじゃない。がんばってガンガン稼げ。
ただし、それは浪費に使うためじゃない。
金では解決できない、『残りの2パーセントの悩み』と真っ正面から向き合うために、
金は使うべきなのだよ」

どうも私が書くと支離滅裂になってしまうのですが、
ちょっと若かりし日のことも思い出してみました。

ところで女性の好みですが、私も激しく同意します。
付け加えるなら、「しっかり、美味しく食べる」人が好きです。
私より身長が30センチも低いのに、食事量が私とほとんど変わらない妻へのほめ言葉です(笑)。

市郎さん、ご無沙汰しております。

ミエンゲル係数、読ませていただきました。
いや~、勉強になりました。
若い頃に、市郎さんにご指導していただいたことを
よく思い出しました。

これからの、自分の身の振る舞いに注意したいと思います。


イチローさんお久しぶりです。
このブログが出来た当初からずっと拝読させてもらっていましたが、今回初めて書き込みます。
去年は、異動があり、激務でもあった為、人生初の入院を経験しましたのでイチローさんのおっしゃるように人生にとって重要なエレメンツ「健康、恋、オカネ」にはすごく賛同できます。
またイチローさんの著書の中の言葉の「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉も納得できます。

実は、今、転職したいと考えています。
現在の勤務分野は、自分には合わず最近は常に心ここにあらずといった感じになっています。
もちろん、自殺などは考えていませんが、何をしていても楽しくなくて、無感動で常に疲れている状態です。
仕事が不規則なのは仕事の性質上やむを得ないと思っていますが、今の職場はあまりにも不規則で自分の時間を全くもてない状況です。家には寝に帰り、また次の日起きて仕事に行く繰り返しです。
今年の4月には別の部署に異動出来るように要望は出していますが通らなかった場合、辞職しようと思っています。
しかし、大学卒業後すぐに今の会社に入ったので特に能力があるわけでもなく、自分にとって何に適正があるのかもわからない状況です。
今の会社に入って、7年になりますが自分の人生の目標であった「イチローさんと知り合って訓練を受けること」と「Bureauの職員に会って直接話すこと」という目標は果たされましたので悔いはありません。
今年こそは、今まで切望していたアメリカに行きたいと思っています。今は全く時間も自由もなくて海外はおろか国内旅行ですらいけない状態ですから。

お久しぶりです、イチローさん!
慌しいい来日の旅をお疲れさまです。
体調はいかがでしょうか?久々の日本はどないでしたか?

剣士郎クンの手をひき、お風呂屋さんへ向かうお姿。ジーンときました。
剣士郎クンも人生初のお風呂屋さんに目をまん丸にされていたんではないですか?

・・・記憶にウッスラとしかありませんが・・東京に住んでいた幼い頃、ボクも剣士郎クンの年位にオヤジに連れられて風呂やに行ってました。
生前オヤジが語ってました。風呂屋の隣、薪が積んである倉庫に停まっていたオート三輪を幼いボクは眺めて動こうとしないわ、母親には内緒でオヤジが風呂上りに焼き鳥を食べさせてくれたのはいいけど、口の周りを焼き鳥のタレだらけにして、オヤジ共々、母親に叱られたらしいです。(笑)
今はまだ幼い剣士郎クンですが、彼の脳裏にはイチローさんと日本の風呂屋に行った出来事が刻まれたコトでしょう。風呂上りに飲んだ人生初のコーヒー牛乳、剣士郎クンはきっと大人になっても覚えてるに違いありません。

でと、イチローさがされてる間、ボクも色々とありました。離婚したゆうひめですが、紆余曲折ありましたが再婚したいと想っております。離れて解ったコトが多々ありました。今回のコト。今までのコト。今まで彼女のコトを想うに、随分と傷つけてしまいました。反省しきりです。

マグレットありがとうございます♪
現金を肌身離さず持ち歩けるのは、ビンボーなボクからしたら何よりも有りがたいことです。ブログにもありましたが、現ナマの塊をゴソッと引っ張り出して公衆の面前に曝け出すのは気がひけます。コレはボクも以前から感じてましたので、イチローさんの様に千円札を小分けに折りたたみ内ポケットに入れてます。小銭はパンツのポケットに入れました。
このマグレット、よくよく見たら「馬の鞍」みたいですネ。
今さらながらよく考えられえると想います。ただ、上部の縫い目からほつれだしてきたので、ライターであぶって抑えておきました。

信玄

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このブログ記事について

このページは、Ichiroが2010年1月30日 06:30に書いたブログ記事です。

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