またまたサンディエゴへ・・・

| コメント(3) | トラックバック(0)

ここんとこ タクレットとレンジバッグのことが
心に引っかかって他の仕事をするのがイヤになって
いました。

このポケットは5ミリ高くしたいとか
ハンドルは6ミリ短くしたいとか
弾倉スタンドは いったいどういう素材にするのかだとか
インナーバッグを2センチ縮めると どんな影響があるだろうとか
アウターのポケットを大きくしたいが するとキャリーが困難になる
だとか、、そういったことについてです。

そんなところに来週の出張撮影が延期だという朗報があり
今日これからLAに向かうことにします。

もうどーしても早く作ってしまいたいのです。
アタマの中にある薄ボケた映像を 鮮明な立体像にして
現実に使えるモノにしたいのです。

明日は鉄板射撃をやりながらレンジバッグについての
考えをまとめ 明後日は試作2号にかかります。

本来なら ケンシローを動物園に連れて行きたいところなんですが・・・
彼は本やムービーでしか見られないワニとイグアナの違いを認識
できないでいるため そろそろ本物を見せたいわけです。

そんな家族を放って旅に出るのはギルティー(罪)に感じ
少々辛いところです。
親のイーゴウというわけです。

イーゴウといえば ワシは動物園の存在にはどちらかといえば
反対なんです。檻に閉じこめられた動物たちが DNAに刻まれた
野生の母国を想いながらウロウロと行ったり来たりする様子を
見ると人間のイーゴウに腹立たしさを感じるのです。

"たった三日間しか生きられなくてもいいから自分をジャングルに
もどしてくれ!"

と、ワシが園内の動物だったら、そう懇願するだろうからなんです。
自由は命あるものにとって輝きであり、そのためには命を落としても
よいとワシは考えています。

とはいえ 自分の子供に動物園を見せてやりたいのです。
動物園反対なら連れて行かないベキなんでしょうかね・・・

人は 多くの矛盾をかかえながら生きる必要があるわけで
ときとして 自分と人間社会とに嫌気がさします。

そうこうしているうちに死ねるだろう・・・
そんな気持ちでつないでいます。
Be STRONGも楽ではないですね。

では行きます。
今朝は多くの書き込みがあり 嬉しいです。
でも返信を書いている時間がないので そのままにします。
これまた 心澄まないことです。澄みません。

では ほんとに行ってきますね。

今朝は心の繊細な部分を吐露しました。
でもきっとこれは皆さんの心の奥にもあることではないかと・・・

ああ、、こんどこそ行きます はい、ではまた・・・

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.ichironagata.com/blog/mt/mt-tb.cgi/542

コメント(3)

Ichiroさん、お久しぶりのコメントです。タクレットの改良、さぞ大変ながら楽しそうですね。出来上がりが楽しみです。私もレンジバックを20年くらい買い換えていないので、(中身は変わってますけどね。)興味津津で待っております。
 でも、お子さんと動物園に行く時間もとってあげてくださいね。
「動物園に行く事。」なのですが、私も動物園の存在はあまり好きではありません。今は42才なのですが、小学校5年の時よりイチロー兄ィ?(当時はみんなそう呼んでいたんですよ。)のリポートを読んでいた影響でしょうか観念的に無為自然である事をよしとし、タバコは吸わず、運動は・・・、というように育ってきて(今は横方向に・・・。)自然ではない「自然」に懐疑的な所があるのです。
 でも、私は子供達を動物園に連れていきます。何故なら様々な動物を見せる事によって、「違う世界」が世の中にはあるんだという事を感じてもらえると思うからです。白クマやペンギンを見て、氷の中での暮らしを想像し、同じ様な環境でも地球の北の端と南の端にいる事を話し、地球の丸い事、大きな事を感じとってもらう。世界には様々な気候に様々な場所があるんだということを感じてもらうのに絶好の場所だと思うのです。そして、最後に「でもね、ここにいる動物さん達は本当は生まれた所にいるのが一番幸せなんだよ。それを私たちのためにこんなところ(日本)まで連れてこられているんだからね。ありがとうって言おうね。」と話して帰ってきます。(まだ、よくわかっていないかもしれませんが・・・。)
 動物園は本当はいいと思わないが、そこにあるのであれば、それは大切に活用する。そして、そこに感謝の念を常に抱く事を私は心がけていきたいと思ってます。
 少し前に日本では学校の給食を食べる時「いただきます。」と言うのは自分で給食費を払ったのだからいう必要がない。という事を言う人がおりまして物議を醸し出した事がありました。その時、永六輔さんという方がこういった事を話したそうです。「お金を払った云々や作って人への対価云々だけではなく、その素材となったウシやブタの動物や野菜など自然の恵みに対してのいただきますと考えてはどうか・・。」と・・・。この言葉の意味って、動物園に行く事と相通ずる事があるのではないかと思うんです。「私たちのために見世物のなってくれてありがとう」と・・。動物園には、その動物を愛おしいと思って懸命に働いている飼育員さんらスタッフもおります。寒い所から来た動物にはどうやって涼しくしてあげるか、暑い所から来た動物には寒い冬をどうやって乗り越えるか、様々な工夫を凝らしていると思います。それに今いる動物達って自然環境に適応して進化してきた究極形でもあると思うんです。動物自体の存在とその本来ではない住環境への工夫・・・。こういった事って、Ichiroさんの写真や物創りに相通ずる所があるのではないかなと思いますが、いかがでしょう?でも、一番良いことは子供達が目をランランと輝かせてライオンさんやキリンさんを見る姿なのかもしれませんが・・・。
 そのような、子供達の感情のように政治や国の在り方もあってくれればいいなと思うのですが、このブログの中でみんなが憂いているように日本での昨今の出来事は悲しい限りですね。わけのわからない選挙が繰り返されていますが、そもそも選挙に出てくる政治屋さんが我田引水の輩しかいないため、誰も国とその将来を考えていないという事なのでしょう。○○党か××党かどっちに・・・みたいな選択しかないというのもどうかと思います。だって、英語で選挙ってelectionですよね?electって、体の内側から力が漲って来るイメイジじゃないですか?(勃起もelect電気もelect)つまり、そんなビビっとくるような感覚がもともとの選挙であって、選挙という語感からして「お上から与えられた選択肢を選ぶ。(selection)」みたいな明治時代から意識が変わっていないという事なんでしょうか?(それ以前には日本には選挙はなかったと記憶しております。)この人だ!というような政治家にも出てきてほしいし、私たち国民も本当にどうあるべきかを常日頃から考えていなくてはならないのでしょうね。
 やはり我々国民が「本当に正しい物を見極める目」を養い、悪しきものを選ばず、正しい選択をしていかなくてはならないという事なのでしょうかね。
 ということで、タクレットの完成楽しみにしております。きっと、私たちをelectさせてくれると思いますから・・・。

タクレットとレンジバッグ期待してます。
特にレンジバックは、日本国内ではそんな見かけないうえに種類も無い現状です
以前、もう無くなってしまった行きつけのショップで、仲間うちで値段も手頃って事で【SIGのレンジバック】の取り合いをしたのは良い思いでです

>彼は本やムービーでしか見られないワニとイグアナの違いを認識
できないでいるため そろそろ本物を見せたいわけです。

これは自分の母がまだ学童保育の先生やってた頃の話なのですが
母が自分が小学生の頃に作った昆虫標本を持って行ったのですが、その時に学童保育の子の一人があるクワガタを見てこのクワガタは日本にいないと言ったそうです
地元のちょっとした森でも入れば普通に採れる種なのに(笑)
現代っ子(特に都会っ子)は生き物を生で見る機会が無くなってネットやら本やら情報で頭でっかちになってるようですから、ぜひ本物を見せてあげてください

動物園には比較的よく行く方ですが、
良し悪しについては特に深く考えたことはありませんでした。
ただ、子どもが目を輝かせている様子が、親として嬉しくて。
私自身も子どもの頃の記憶として、ごくたまに連れて行ってもらえた
動物園の想い出が宝物になっているのです。

たしかに、改めて考えてみれば
動物園というのは人間の身勝手さが作り出したものに他なりません。
ですが、他のことに目を転じてみれば、
どんなことも「人間を中心とした目線」で捉えられていることも事実です。
「アニマルセラピー」とか「癒し」とか、分野や呼び方は様々でも
どれだけ人間にとって役に立つかという点で評価されているわけです。
自然が好き、自然を守りたい、という人にしても、
突き詰めれば「自分が心地よいと感じる」自然だけを
守ろうとしているケースが往々にしてあるのではないかと思います。

これって、欺瞞ですよね。
美しく輝くばかりが自然じゃない。
残酷で醜くて、ものすごく汚い。これも自然の一面です。
毒蛇や毒虫や、果ては病原菌まで含めて考えなければ、
結局「自然に似せた人工環境」を作ることに終始するだけ
なのではないかと感じています。

まぁ、本気で自然環境を守ろうとするならヒトという種が
滅びるのが一番有効なのは判りきっているんですけどね。
現在はガン細胞が勢力を増しながら、同時に患者の延命を望んでいるような
奇妙な状況にあるようです。
とはいえ、我々もDNAの命令に従って種を保存していくことを
使命としているわけですから、簡単に滅び去るわけにもいきません。
結局、地球上の生存競争というのは種同士のイーゴウの張り合いのような気もしますが、
時として種のイーゴウと個の想いとが矛盾するのが悩ましいところですね。

矛盾といえば、以前にこんな話を聞いたのを思い出しました。
植物の生き残りについて
「以前は繁殖力の強い植物や、花粉を運んでもらうために
昆虫を巧く引きつけるよう進化した植物が優勢だった。
しかし、これからは人間に好まれる性質を持つように進化した
植物こそが、愛され保存され、そして増えていくようになるだろう」
というような話でした。
動物園にいる動物たちはたしかにDNAに刻まれた
自由への渇望を封じられています。
しかし同時に、DNAが命じる
「自己の遺伝子を残し、種を保存すべし」
という最重要課題は達成しているわけです。
うーむ、これは果たして生存競争の勝者といってよいものか?

こんなことをつらつらと考えていると眠れなくなりそうですが(笑)。
あえて普段はしないようなアプローチで物事を考えてみるのも、
いいトレーニングになるのではないかと思ってやってみましたが
なかなか難しいものですね。
最近こちらで話題になっている政治の話についても
自分なりに考えていきたいと思っています。
大局的に物事を観るのって、本当に難しいですねぇ。

コメントする

このブログ記事について

このページは、Ichiroが2010年9月20日 00:34に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「増税やむなし」です。

次のブログ記事は「ロサンジェルスの朝はイワシの丸焼きで・・」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。