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お邪魔します。
市郎さんはガンマッチで競争する他の方々を、蹴落として、
その世界の中だけで天狗になる為では無く、対戦出来る相手
がいて初めて自分の現在の能力を学べるのだから、自分自身
を高める為のパートナーの様な存在であるという様な事を以
前書かれていたかと思いますが、共感出来るお言葉でした。

現在の日本の学校教育で競争をしない行為を推進しています
が、今の日本においては、私はそれに賛成です。

例えば自分が通う学校の、その学年では1番だとしても、全国
から見れば、全然たいした事が無い。上には上があるという視
野を持つ心がないと、慢心して、狭い世界の中での一時の功績
をいつまでも顕示し続けることに固執し、他人を見下し、別の
素晴らしい部分に目を向けようとしない狭い視野の大人となって
しまい、そう言った人が子供を作ると、子供を別の人格を持っ
た存在ではなく、自分を引き立てる為のお飾りの様に扱い、自
分の意にそぐわなければ、ダメな子の烙印を押して切り捨てる。

その子供は親のブランドとして存在意義を与えられ、育てられ
ているので自分自身の価値観というものを得らていないので、
その精神は彷徨して、大概はイケない方向に進んでしまうか、
自分はダメだと殻に閉じこもってしまう。

どうしてこんな子に育った?学校が悪い、友達が悪い。
いえいえ、あなたのお陰でしょう。

毎回話の流れが滅茶苦茶で申し訳ないですが、現在の経済の
成長の行き詰まりには、先の小さな世界での優等生の精神で
他を蹴落とし、潰すということで自分を維持しようという意
識にも原因があるのではないかと考えておりました。

同じ業種、職種でも各々の良い所を尊重し合い、それぞれが
長所となる部分を伸ばせば、生物の多様性のようにもっと個
性が出て、潤いのある生活環境が得られるのではと思います。

蹴落とし、策を弄して貶め、排除する精神では他の優れた部
分をも吸収して、さらなるアイディアを産み出す機会を失い、
結局はその企業も、そこで働く人の精神も荒廃して、行き詰
ってしまうのではないかと。

現在の教育や、結構な人の考えの割合を占める競争の精神が
市郎さんカラーに塗り替えられたなら、私も競争社会で良い
と思います。

そんなことを平家落人の里に行き、美味しいものを食べてもら
いたいと言うことには一生懸命だけど、商売っ気のない親父さ
んと、そこに来ていたお馴染みさん共々、初めての私に屈託な
く接してくれて、松茸入りの白菜付けやら、こちらでは開発で
全滅した日本のキウイと言えるこくわ、アケビを振舞われつつ
塩だけで味付けされ、目の前で炭火で焼いてもらった熊の肉を
頂きつつ、そんなことを考えました。という事を書かせて頂き
ました。

他所様のブログの私物化です。ハイジャックです。
市郎さん、ごめんなさいm(_ _)m
山椒魚の干物を手にする機会を得ました。炙ってお酒に入れる
も、マヨネーズを付けて食べるのも美味しそうです。こちらで
ご容赦下さい。

市より
夜食が終わり酒など楽しんでいます。
山椒魚の干物も松茸もなく、何一つ肴はありませんが
今夕は1時間の初弾練習と5000步走りができて身体が軽くて
心地よいです。
試合というのは自分を試す場であって他人をやっつける場では
ないのですよ。他人に勝てないと自分は無価値だという単純思考
に凝り固まっている日本人は多いのですが、これはアキマヘンノや。
それよりは試合の場で向上心のある良い人と出逢い、話をし
自分も心豊かになろうという気持ちが湧いたら、これこそ
収穫だというわけです。
100人で競争すれば、誰かが100番をとらなければならないわけで、
ここで自分が100番の役を引き受けてやろうと考えるのが真に出来た
人間だと想うわけです。

あ〜・・・ちょっと酔ってきますた〜 (。^。)
今夜はもちっとヤッカイ山を飲んで寝ま〜す。。。

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個人的には、現在の教育はもっと「競争」を
前面に押し出しても良いのではないかと思っています。
ただし、競うことが本当の意味で切磋琢磨につながるような
競争なら、という条件付きですが。
むうたさんが指摘されたように、相手を蹴落としたり潰したりすることを
競争だと勘違いしている人も多いのですけどね。
目標に向かって一直線に駆けていく中で、
自然に競い合いながら互いを高めていくことも可能だと思います。
というより、こういうことこそ教育の場で教えるべきでは?

今はどうか知りませんが、少し前に小学校の
運動会の様子がテレビで話題になりました。
駆けっこで、速い子も遅い子も、ゴール前で横一線に並んで
手をつないでゴール!(速い子は当然ゴール前で待っている)
このシーンを見て、目まいがしました。

この教師たちは大馬鹿者じゃ!
こんなのは平等でも何でもないわい!
平等なのはチャンスであって、結果を保障するものではないはずです。
むしろ、スポーツが得意な子の活躍するチャンスを奪い、
同時に遅くても必死で走る子を侮辱するものではないかと
本気で腹が立ちました。

自分の特性を知り、他人の長所を認めること。
目標に向かって一心に努力することのすばらしさを知ること。
「こうありたい」という自分の理想像を追い続けること。

これらのことは独りでは難しく、仲間との「磨き合い」があってこそ
可能なのではないかと考えています。
ですから、スポーツだろうと勉強だろうと、あるいは芸術だろうと、
様々な分野を通して互いを高めていくような競争は
どんどんやるべきです。
それも、義務教育で、ですね。

追伸:
ブランドで思い出しました。
私、高校は県下で2番手くらいの公立の進学校(ちょっと遠方)に通ったのですが、
彼の地では結婚披露宴で次のようなことがあるらしいです。
新郎・新婦の紹介で
「○○さんは××高等学校を優秀な成績でご卒業され~云々」
最終学歴には触れずとも、出身高校についてのコメントは外せない!
アホらしいですけど、実話です。
たしかに地元では大切なブランドなんでしょうが・・・
「おまいの人生のピークは15歳(高校合格時)か!」と
取りあえず突っ込んでおくことにしましょうか(苦笑)。

お待ちいたしておりました。

絶対にルシファさんは、私にはまとめる事が出来ないことを
華麗にまとめて頂けるだろうと確信致しておりました。

そうなんですよ。そう言った事も書きたかったのですよ。

手の平返してルシファさんの意見に賛成です。いえ、ほんと
はそう言う気持ちだったのですよ。

件の、手をつないでゴール!を私も見まして、口がぽっかり
しました。それ以降の内容も全くその通りだと思います。

ただ、

自然に競い合いながら互いを高めていくこと

がなされるには、甚だお猿さんから進化していない人ばかり
を見て、もういいや!ふやけた世界になっちゃえ!とふてく
されていたのです。

そう言えば、ゆとりにしても、そういった事の本質を考えた
り体験していない人たちが、さあやれ!と言われても暇を持
て余すだけで結局は皆して画一化した行為に落ち着くだけで
したし。

私もゆとりとはなんぞや?と問われても良く分かりませんが
色々と感じられる物事に接して様々な感情とか気持ちを得る
経験がしたいです。まあ、時間を作って何かしかやっている
みたいですが・・・趣味が多いと言われるので(´д`)

でも、自分を持っている人は実は沢山いるのですよね。

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このブログ記事について

このページは、Ichiroが2010年10月11日 11:42に書いたブログ記事です。

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