生き物は競争する

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個人的には、現在の教育はもっと「競争」を
前面に押し出しても良いのではないかと思っています。
ただし、競うことが本当の意味で切磋琢磨につながるような
競争なら、という条件付きですが。
むうたさんが指摘されたように、相手を蹴落としたり潰したりすることを
競争だと勘違いしている人も多いのですけどね。
目標に向かって一直線に駆けていく中で、
自然に競い合いながら互いを高めていくことも可能だと思います。
というより、こういうことこそ教育の場で教えるべきでは?

今はどうか知りませんが、少し前に小学校の
運動会の様子がテレビで話題になりました。
駆けっこで、速い子も遅い子も、ゴール前で横一線に並んで
手をつないでゴール!(速い子は当然ゴール前で待っている)
このシーンを見て、目まいがしました。

この教師たちは大馬鹿者じゃ!
こんなのは平等でも何でもないわい!
平等なのはチャンスであって、結果を保障するものではないはずです。
むしろ、スポーツが得意な子の活躍するチャンスを奪い、
同時に遅くても必死で走る子を侮辱するものではないかと
本気で腹が立ちました。

自分の特性を知り、他人の長所を認めること。
目標に向かって一心に努力することのすばらしさを知ること。
「こうありたい」という自分の理想像を追い続けること。

これらのことは独りでは難しく、仲間との「磨き合い」があってこそ
可能なのではないかと考えています。
ですから、スポーツだろうと勉強だろうと、あるいは芸術だろうと、
様々な分野を通して互いを高めていくような競争は
どんどんやるべきです。
それも、義務教育で、ですね。

追伸:
ブランドで思い出しました。
私、高校は県下で2番手くらいの公立の進学校(ちょっと遠方)に通ったのです
が、
彼の地では結婚披露宴で次のようなことがあるらしいです。
新郎・新婦の紹介で
「○○さんは××高等学校を優秀な成績でご卒業され〜云々」
最終学歴には触れずとも、出身高校についてのコメントは外せない!
アホらしいですけど、実話です。
たしかに地元では大切なブランドなんでしょうが・・・
「おまいの人生のピークは15歳(高校合格時)か!」と
取りあえず突っ込んでおくことにしましょうか(苦笑)。
by ルシファ

市より
>駆けっこで、速い子も遅い子も、ゴール前で横一線に並んで
手をつないでゴール!(速い子は当然ゴール前で待っている)
このシーンを見て、目まいがしました。

こんなことがあったのですか? 今もそうなのですかね?
これは弱者社会を作るのに大いに役立つかと。
弱い者が威張れて強い者はやる気を無くすという
素晴らしき幻想の世界ですね。

「これは、どこか間違っている」
と普通の人だったら感じるのではないですかね。
でなかったら日本は終わってますね。

かけっこを指導する先生は、先週の自分のタイムを破るという
チャレンジ精神を教えるべきではないかと想うんですよ。
成長する人間は学習能力も記憶容量も走る力も過去より今、
今より未来は向上するように勉める、その勉める心があれば
他人との競争で負けていてもやがては追いつく、少なくとも
自分で納得できるレヴェルまでは到達できる。
その成長の喜びを教えるべきかと。
走りが遅ければ勉学で、それもダメなら心や体の持久力で、
はたまた芸術で、、、どこかに自分の場はあるわけで、それを
探す手伝いが出来るのが「先生」つまり先に生まれた者なのでは
ないですかね。それといかなる環境にあろうと、20年間の刑務所
生活をすることになろうと、けっして自分の夢を失わないことも
大切かと。

刑務所から出てきて夢を果たすために再び強姦するヤツも
いますが、とりあえずそういうのには死んでもらうということで。

ワシは写真が好きで好きでたまらず、脱落組として高校の後
写真学校に通ったのですが、それはそれは大変で、プロになれて
からも自殺を決意するまでにいたりました。
今想うに、そんな時に人生を教えてくれる師匠がいたらどんなに
よかったろうということです。まあ多くの書物から学び心の力を
つけていきましたが・・・

言えることは、競争が人間を育てるということ。
欠乏が人を強くするということ。
夢のある人は貫徹力があるということ。

そして競争して凌駕しなければならないその相手とは、
過去の自分であるということ。
他人に勝って喜ぶのは愚かで虚しいことだと識ること。
それらが解るには切磋琢磨が必要だということ。

そして人間の目指すものは幸せであり、カネや栄光はそれほど
の価値はないということ。

まだまだ書きたいのですが、これより仕事にかかるので・・・
今日は午前中にケリをつけて午後からはステイジバッグの
テストなんです。

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昨日の友達との飲みでは、この話も出ました。
 小中学校で競争をしなくても、社会に出ればいずれ競争にさらされるのだから、比べられることに慣れておかなければならない、ってような内容でした。
 大人になっていく過程で、自分に出来ないことを理解し出来ることを見つける事が大切なんだという話になりました。

まだ、酒がぬけないっす。

アルコール抜けました(笑)

私が大学に入ったばかりの頃、20歳くらい年上の知人に言われたことがあります。
「天ぷらを揚げることでもなんでもいいから、一つのことで日本一になれれば最高だ。」
市郎さんがおっしゃることと同じだと思います。

短距離走が得意な人間もいれば、マラソンが得意な人もいるし、運動が苦手でも絵が上手いとか、ドラムをたたかせたらサイコーとか。
そういった特性を見つけてあげる、気づかせる、そんな助けをするのが学校教育には必要なんだと思います。
点数をつけること順位を付けることは、そんな気づきのために必要なことだと思います。

「でも、小学校、中学校のころって、なんでも1番になっちゃう子がいるんだよねぇ。」って話もありましたが、その子が大人になってからもそのまま1番で、幸せに過ごしているとは限らないですし、そういったことも教えてあげることが大切かと。

今の日本じゃ、「1番じゃなきゃ駄目なんですか?2番じゃ駄目なんですか?」なんてアホなこと言った議員が持て囃されてますからねぇ。
情けないものです。

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このブログ記事について

このページは、Ichiroが2010年10月12日 00:12に書いたブログ記事です。

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