長男さん、ここがふんばりどころ

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 私も中学受験で失敗した口です。
 それまでは、なんだかんだ言っても結果としての平等を与えられた人生に於い
て、合格者は封筒を受け取り不合格の私はそのまま手ぶらで帰るという現実を突き
つけられました。
 人目をはばからず、帰りの地下鉄の中で大泣きしたことを
覚えて覚えております。
 しかし、それは思うとおりの結果が得られなかったからではなく自分自身の考
えが甘かったという後悔の念からでした。
 
 今、思えば自分は「打たれて」強くなれるタイプなのだと思いました。きっと
指宿さんのご長男さんもこうであると信じて疑いません。
 なぜならば、指宿さんがこのページの愛読者だからです。
 そんなお父様から反骨心を学ばないわけがないからです。

 記憶力が曖昧で申し訳ないのですが

 「私の誇りは成功したことではなく、数え切れない失敗から立ち上がったこと
である」
 の言葉を送りたいと思います。

それから、両親に申し訳ない気持ちでいっぱいの当時、絶望の淵にいた私が父
親に言われた言葉で

 「結果だけで評価するほど薄い親子ではない。おまえが努力した姿は見てきた
しそれを俺は誇りに思っている。今回失敗はしたがまだ負けてはいないんだよ。」
 
 と言われて、その時に初めて怖いばっかりだった父からの
愛情を強く感じました。
 私はそんな父を誇りに思っております。
 
 私も子供に父の教えを繋いでいきたいと思います。

 文章が稚拙で申し訳ないですが、心より応援申し上げます。
by Medic

市より:
ちなみに長男君、これを書いてくれた人は頑張って医師となり
今でもさらなる新世界を築こうと仕事の傍ら新分野の勉強に
いそしんでいる人です。読んで力がわきますよね。

 ところでワシの親は勉学に励めとは一度もいわず、ワシも学業が
嫌いでした。図工と音楽だけが好きでした。
 数学も英語も歴史も記憶ができず、かろうじて国語だけは日本人
なんだからやろうと考え日記を毎日書いていました。

 中学のときはキャメラを見ると体温が上がり熱っぽくなり、それは
高校になってさらに顕著となりました。厚紙に長四角の穴をあけ
それをファインダーにして「空撮り」をしていました。
 高校では写真部があり、キャメラを持っていないのに入部しました。

 写真学校での講義でレンズマウントとフィルムの距離を
「フランジバック」と言うとあり、これらの英語をイッパツで覚えられ
自分は記憶力がないのではなく、好きなことなら出来るんだと悟りました。
 でも写真を撮るたびに自分の駄目さにショゲかえる日々で、このために
自暴自棄となり人々を傷つけ、自殺しそうになりました。

 ワシの場合は、貧しさと挫折感が「大リーグ養成ギプス」でしたよ (^-^)
それが40才くらいまで続きました。

 そんでもって、ワシがどういう人が好きかと言えば、
「勉強できるオナゴ」なんですよね〜、、(*^^)
 この写真バカは、勉強できる人への尊敬は決して捨てられないのです。
 学力が低くても、ワシのように真剣に頑張っている努力マンも大好きです(^_-)-☆

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はじめまして。

イチ若者が書きます稚拙な文章になってしまいますが、どうぞよろしくお願いいたします。

ワタクシは現在大学2年生でありますが(ヤダピさん本人にお話ししましたら、後輩にあたるようです。笑)大学に進学云々だけでは測れない物というのを親父が教えてくれた以外に最近実感する出来事があり、記事の内容と脳内でダブったのでコメントさせていただきました。

当時、進学予備校に通っており、英語、国語の現代文は、ずば抜けて出来たのですが、(文系なので)歴史科目をやらなければならず、その歴史科目が致命的なまでにダメでした。

結局、歴史がアダとなり滑り止めでうけた大学のみの合格となりましたが、ついこの間、成人式に参加した時、中学時代のクラスメイトと再会して考えが変わりました。

その子は僕と同じようにメカニカルな物が好きで、彼の場合は車のメカニックになりたいと小学校のころから語っておりました。

中学を卒業し、高校へと進学するときその子は成績的にはイマイチで、不遇な高校時代を過ごしたようですが、その後はクルマのメカニックの専門学校に行き、この春世田谷の整備工場に仕事をしにいくそうです。
ぼくよりも一足早い社会人デビューです。
そして、ゆくゆくはレーシングチームのメカニックをやりたいんだとかって語っておりました。

しっかりと1歩前進している姿は立派だと思いました。

僕の場合も、テッポーに興味があるのはいつの日か、本場アメリカでUSスティールに出たり、ハリウッド映画に携わってみたいとか、マッチで日本国内を行き来するようになりたい!!って気持ちがあったからにほかなりません。
そのために英語をやらなければいけないのであったら嫌いな勉強も我慢できたクチです。

小学校のころから始まったテッポー馬鹿がいまだに動力源になっております。

夢に向かっていつの間にやら一歩前進した友人と会い、’努力し続けられるのも才能なんだよ。’と高校時代に教わったのを思い出しました。

その友人や、僕も結局のところ、自分の好きなことに関しては、とことん突き詰めていけるタイプなようです。

シューティングマッチへの参加は、初めてからまだ2年弱、APSで部門トップ20に入ったり、PMCでトップ10入りしたり、そうかと思えばフツーにボロボロだったりする事のほうがまだ多いという日々を送っております。
たどる順序、目指す行先はは違えど友人に負けじと頑張ろうと思います!!

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このブログ記事について

このページは、Ichiroが2011年1月27日 09:59に書いたブログ記事です。

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