他人の不幸は嬉しいもの・・・

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 私の持論ですが・・・・
 人間は自分より大変な人間を見て安心する生き物であると。
 それはもう、社会的動物としての本能なのかもしれません。
 緩和ケア病棟でも、HIVの患者でもそして障害者同士でもそういったことがあ
るそうです。

 だから、私は差別は無くならないと思う。
 私の中にも差別の心はあると思う。

 でも

 理性でそれを抑えることができる。
 誰にも見せずに、腹の中にしまっておくことができる。

 海外の政治家も「日本が嫌いなんだろうな」と思うときがありますが、そこは
さすがに表には出しませんよね。
 それでよいと思います。

 私も死ぬまで、墓までそういう気持ちを隠しておきます。

 もし、差別を表現する人間がいたら品性の名の下に軽蔑します。
by 三十郎


市より、
「他人の不幸は我が身の幸せ」
そこに不幸な人がいると、一緒にうつむいて悲しがり、そこから
抜け出してほしいと想い、手助けをする人がいます。
しかし、そういう人ですら、心の奥底では歓びを感じており
意識下の世界にて自分の優越感で熱い感動を味わっている・・・

自分の子供や、居なくては困る伴侶などに対しては例外があるかもしれない。

人間には純度の高い愛はなく、エゴという混ぜものが混入しており、
その割合が人格を形成するエッセンスではないかと。

これが人間心理の基本なんだとワシは考えています。
生き物の世界は弱肉強食の摂理にあり、これが自然ではないかと。

「自分が生きることを第一とする」

このスィステムがないと、個々の生き物が生命を維持していくのに
支障をきたすために、このように創られたのだと想います。

そうでありながら、人間は群れて住むことで安心できる生き物であり、
健康な心の持ち主は、なんとか他人の役に立ちたいという願望を
持っており、そこから向上心を得るものではないかと。
しかし、どこかで「オレは他人よりすぐれた人間なんだ」という気持ち
を持っていることが多く、そこから判断を誤ってイーゴウの世界に
入ってしまい、種々雑多な不和が生まれて人間界のドラマが進行する。

人を助けることは美しく立派な行為だと褒められる。
とくに他人の命を救いながら本人が死んだとなれば
世間の感動は100倍に達する。

そこに「愛」に憧れる人間達の心が見えるのではないかと。

こういった自分を含む人間たちを醜いだとか下劣だとか
想っていてはマイナス思考に陥るばかりなので、
まずこれを認識し「人間の仕様」のひとつとして取り込むべきかと。

で、どういうわけかイーゴウが小さく物欲も出世欲も少なく、
人間の世界を良くしてゆくことに心身を捧げる人がいたりする。

そこまでは成れなくても、その方向を目標として生きる、、
そういった人間の多い国は栄えるのではないかと。

思考力のない人ほど差別意識が高いとワシは感じています。
無知なのは罪ではないですが、学ぼうとしないのはイケナイことでは
ないですかね〜

今朝は早よから仕事です。6:45

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コメント(1)

人の不幸を見て安心するという表現が適切かどうかわかりませんが、今回の震災では私の不幸は他の人の不幸に比較すればたいしたことはないし、大げさに自分を不幸だと言うほどのことではないと思ってます。
 私のオフロードバイクは津波にのみ込まれた倉庫の中に入っていて瓦礫の下敷きになりましたが出てきました。出てきただけまだましです。完全に流されてしまった人がいるんですから。
私の住んでいるところは今日も0.3μSvですが、もっとひどいところが沢山あります。妹の義理の両親は強制的に避難させられる所に住んでいました。彼らに比べればまだ自宅に住んでいられる程度の放射線量です。

これが私だけに起きたことならば不幸のどん底をさまようことになるとは思います。


福島県から避難した人たちを被曝していると見るのは当然だと思います。実際に被曝が怖いから避難しているのですから。そしてそれをいじめの種にしたり、差別の種にするのはある意味当然だと思ってます。
 学校でのいじめの種はなんでもいいんです。なにか自分達と違うものがあればそれだけでいじめることはできるんです。いじめをした子供は別に福島から来た子供をいじめなくても、普段からいじめをしていた子供なんだと思ってます。

 避難した人たちが、旅館で安心して「三食昼寝付きだ」ということもわかります。私も一晩だけでしたが自分の地元じゃない場所の避難所で過ごしましたから、いかに避難所が楽じゃないことがわかりました。そんな避難所にいる人たちに向かって言えば「三食昼寝付き」だからこっちに来いって言いたくなるでしょう。

避難する人たちが全員同じような気持ち、同じ境遇でいるわけではないのですから、その人達の普段の素行が出てしまうという事はあると思います。
私もmixiかなにかで読んだことがありますが、福島県の喜多方市のラーメン屋さんで「避難民なんだからタダで食べさせてもらって当然でしょ」という連中がいたらしいです。そんな考えを持つ人は普段からそういう素養があった人たちだと思ってます。

満ち足りた生活をしているときには見えない、それぞれの人たちの奥が見えてしまう状況になってるのは間違いないです。

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このページは、Ichiroが2011年4月24日 08:23に書いたブログ記事です。

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